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超超ご無沙汰であります。「人生似幻化 終当帰空無」「人生は夢まぼろしのようなもので、結局、最後には無に帰するのである」陶淵明は田園詩人として知られている。なんのことはない。出世(仕官)をあきらめて田舎へひきこもったわけである。かといって、みずから田畑を耕作したわけではない。裕福ではなかったようだが、小作人のいる地主である。隠者・陶淵明は田舎でなにをするか。ただただ酒を呑むのである。詩作するのである。どちらも実に美しい。酒の呑みかたも、作る詩も、である。飲酒と詩作というふたつの行為が陶淵明の生きかたにおいて絶妙に溶けあっている。詩を要約するのはいくらなんでも乱暴だが、しいて試みるならば、陶淵明はさしずめ「どうしようもない酒を呑んでいる」ではないか。日本の俳人・種田山頭火の句「どうしうようもない私が歩いている」を真似たことはいうまでもない。この日中の俳人、詩人のあいだには無類の酒好きという共通項がある。陶淵明は「どうしようもない酒」を呑んでいるわけではないのは、山頭火が「どうしようもない私」ではなかったのと同様である。「どうしようもない」「私が歩いている」であり、「どうしようもない」「酒を呑んでいる」である。陶淵明は「どうしようもない」から「酒を呑んでいる」のか、それとも「どうしようもない」にもかかわらず「酒を呑んでいる」のか。どちらも正解で、どちらも不正解なのであろう。「どうしようもない」という状態からごく自然に「酒を呑んでいる」。陶淵明の生きかたであり、即ち小生の生き方でもあります。
腹筋画像です。(中一男子)
今晩わ。ご無沙汰です。タイトルの通り更新しています。また何かと指導して下さい。 m.t
こんばんは
訂正します。
続きです。
4番は少しブレてしまいました。
5番と6番です。
最後の問題になります。
やまぐちあやのです かわいいでしょ
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- Joyful Note - Arranged by FUKUCHAN