大鵬はイクラと日本酒が大好きで36歳のとき脳梗塞を患い半身不随となった。
そのとき妻は29歳だった。
その後、大鵬夫人は、部屋の若い弟子たちに宛てラブレターを書き、錦糸町のホテルで逢い引きを繰り返していたとの噂が流れ大鵬は疑心暗鬼となり大変苦しんだといわれる。
貴ノ花も妻の青年医師との不倫に苦しんだ。
マスコミ報道を信じた貴ノ花は、家の中で妻とすれ違うと、いかにも汚らわしいといわんばかりに自身の体を手でぱっぱと払って、よごれた塵を取り除くというような仕草をして見せた。
親方夫婦が互いを憎みあうようになったために、「世界一幸福な家族」は瓦解し、親方死後も母と子、兄と弟は互いを非難しあうようになった。
これに比べると、大鵬は週刊誌が妻の行状について何を書こうが黙殺していた。妻が弟子に出したラブレターが週刊誌に掲載されても、問題にしなかった。こうした寛大さは、彼の生い立ちによることが大きいと思われる。
大鵬の父親はロシア人で、大鵬はその三男だった。太平洋戦争の末期に、日本人の母は、三人の子供をつれて樺太から北海道に移り、母はここで日本人と再婚している。だが、ほどなく離婚、以後、母子は互いに助け合って敗戦後の日本を生き延びて行くことになる。
大鵬は子供の頃から、納豆を売り歩いて、家計を助けたといわれる。
妻に裏切られ、弟子に裏切られても、内面はともかく、表向き動じることなく平然としていた大鵬。
土俵上と同じように、人生においても横綱相撲を取って死んだ。