1998/11/15

宇宙
COSMO

無限

 時の流れを無限の広がりの中に呑み込んでしまうこの宇宙とは一体なになのだろうか?
 人目をはばかるように突然現れたと言われるものは、本当に他の惑星から来た異星人、宇宙船なのだろうか?
 私は幼い頃から夜空を見上げ、夜空にまたたく星を見つめ、これらの疑問に何らかの解答を得ようと一生懸命に考えたものである。
 そして現在私の結論(仮説?)となっている事をここに述べてみよう。

永遠

 永遠=無限。
 永遠という言葉ほど人間をわずらわせる言葉は無い。永遠の命、無限の宇宙、大昔から人類はそれらを追求し、その欲望と希望に絶望を味わせられてきた。
 永遠というものは果たして本当に存在するのであろうか?それは誰にも分からない。近代になり多くの学者もその解明に没頭したが、かのアインシュタインでさえ、その一片の可能性を見付けたに過ぎない。おそらくそれは解明される事が無いかも知れない。

無限〈∞〉

 無限とは数学的に言っても0(ゼロ)と同じ存在である。∞は∞であって、掛ける事は出来ても割る事は出来ない。
 そこで確率論的に宇宙のすべてのものの可能性を求めた場合、その解は″解無し″であって、0(ゼロ)と同じ答えとなる。
 確率論的に述べれば、異星人や他の星からの宇宙船との遭遇も、可能性は無限であり、また同時にゼロでもあるのだ。
 概念的には宇宙には無限の星があり、無限の生物が存在し、すべての可能性は無限なのであるが、数学的(確率的)には∞であり、また同時にゼロなのである。
 但し、それでは総ての事が解明出来ず、無限(永遠)のジレンマに陥るだけである。

有限

 無限という概念にとらわれると、すべてのものが″解無し″となり、宇宙の解明は不可能となる。
 そこで私はそこに″有限″という要素を加えてみる事にした。そうすればほとんどの事が解明出来る事に気がついた。
 そもそも宇宙を構成する惑星群等は核融合によって形成されている。宇宙のゴミが集まり、ある程度それが巨大化すると核分裂が始まり、その核を成すものが恒星となり、それから分離したものが惑星となる。そしてその核の恒星が燃え尽きると、その惑星群はまた元の宇宙のゴミに戻ってしまう。つまり宇宙は大きさは無限であっても、それを構成する惑星群は決して無限では無く、必ず有限なのである。
 それぞれのサイクルは数十億年、数百億年単位の気の遠くなるような長さではあるが、必ず限界があるのである。
 人類は永遠を求めながら、その実、彼らの存在する地球の″有限″に気付いていなかったのである。

星の成り立ち

 無限の宇宙でも、それぞれの惑星群の成り立ちは同じなのでは無かろうか?我々は地球や太陽系のものさしで物事を測ろうとするが、実際は無限の昔から宇宙のあちこちで、惑星群は構成されたり消滅したりを繰り返しているのである。地球の存在もそのほんの一つの出来事でしかない。よって宇宙のゴミも混じり合い、それほど大きな違いは無いのではなかろうか。
 とすれば核を持った惑星群が出来、そこに生物が生まれ、進化し、その後最後には惑星群が消滅してしまう。そのサイクルに宇宙の法則が決まっているのではなかろうか。核となる恒星自体核融合で成り立っていて、核融合がし終わると大爆発を起こし、周囲の惑星とともに元の宇宙のゴミとなってしまう。その期間は恒星の大きさにより多少変わるであろうが、いずれにしてもその法則から逃れる事は出来ない。

 そして、惑星が生まれ、生物が現れ、進化し、人間のような知能を持った生物となり、技術を持ち、宇宙の無限に挑戦する。そのような流れは地球が出来るはるか永遠の昔から繰り返されていたのではなかろうか。
 ただ私が思うに、それらの生物が光の速さを超え、時間を自由に操れるようになる前に、その惑星の寿命は尽きるのではなかろうか。理論的にはそれらの行為は可能ではあるが、実際物理的にそれらを行えるようになるには、おそらくあまりにも遠すぎるのではなかろうか。

結論

 よって私は地球における、他の星からの宇宙人、宇宙船との遭遇の可能性をゼロと考えている。但し、他の惑星に人間のように知能を持った生物が存在する可能性は無限である。

宇宙への逃避行

 惑星、例えば地球が、その惑星、惑星群が燃え尽きる前にその惑星から脱出して、他の惑星へ逃避行する事は可能であろうか?
 私は″否″と考える。おそらくその惑星群が燃え尽きる頃には、まだそこまでの科学力を得ることは不可能であると思う。
 宇宙船くらいは作れて、太陽系の周りあたりを巡航する事は近い未来可能となるであろうが、他の惑星群へ行くにはあまりにも遠すぎる。いくら地球の文明が発達しようが、そこまで科学が発展する可能性は無いと思われる。
 また宇宙船を作り、宇宙を放浪する事は可能であろうが、それが他の惑星へたどり着く可能性は無い。それはそれらの存在があまりにも遠すぎるからである。例えいくら空気の還元装置や、機械による食料等の生産、ストックが出来たとしても、あくまでも物は分子、そしてそれを構成する原子から成り立っている。よってその宇宙船内の分子・原子の量は出発時のままで増える事が無いからである。宇宙から得られる物はあくまでもわずかな光・電波等のエネルギーだけで、物質的な物は得られないのである。よっていくら再生しようが、いずれは食料等の不足に陥り、生存が不可能となるのではなかろうか。

ため息

 こんな事を考えていると、現在のようにあくせく生きているのが嫌になる。どうせ短い人生、いずれは無くなる地球。もっと気楽にのんびり暮らしたいものである。
 それが出来ないのが人間が築いた文化・文明のせいでもある。その矛盾に気付きながらも私達は生きて行かなければならない。
 なんと人間とは因果な生き物なのであろうか。